2023-08-13

訃報 ISSAY(DER ZIBET) 逝去のお知らせ

去る8月5日(土) DER ZIBETのヴォーカリストISSAYが不慮の事故により永眠いたしました。
ここに生前のご厚誼に深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。

葬儀に関しましては、ご遺族のご意向により近親者にて家族葬として、しめやかに執り行われ、訃報のご連絡も法要後とさせていただきました。
なお、ご弔問及びご香典・弔電・ご供花などのお気遣いは、固くご辞退申し上げます。

ISSAYの突然の訃報は私たちにとって大きなショックであり、言葉に表すことができないほどの悲しみを抱えています。
多くのファンやアーティストに愛され、感動を与え続けたISSAYの優れた歌声と表現力、独自の美学による世界観は、永遠に私たちの心に生き続ける事でしょう。

これまでISSAYを応援して頂いたファンの皆様、関係者の皆様に心より感謝いたします。
DER ZIBET メンバー、スタッフ一同

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<ISSAYプロフィール>
DER ZIBETのヴォーカリスト。
メンバー内で唯一、体形を維持している驚異的な人間。酒以外、余り口にするのを見た事がない。
今でもビジュアル系と呼ばれる由縁である。
初めてのバンドISSAY and SUICIDESを経てISSAYソロプロジェクト(HAL参加)の後、1984「星くず兄弟の伝説」で映画デビュー。
この時、プロデューサーであった近田春夫氏に見初められ、DerZibetデビューへとつながる。
映画、ドラマ出演作はドラマ、「あいつがトラブル」「ダンディーと私」ミュージカル 「ダンスはうまく踊れない」
ソロアルバムとして「Flowers」BMGビクターがあるバンド内では、主に作詞担当。攻撃的なルックスとは裏腹に、やさしく人当たりが良いので初めて会った人は恐る恐る近づいてくるが、その反動で一気にファンになる。
友人も多く、若手ミュージシャンからの信望も厚い。
現在参加しているユニットは、「ISSAY meets DOLLY」w/福原まり(ex,REAL FISH, SHI-SHONEN)
1983年よりパントマイミスト望月章氏に師事し、氏の公演活動にも参加。
ちなみにDer Zibetの九段会館でのデビューライブには、望月氏もマイムで出演。

<DER ZIBET プロフィール>
メジャー・デビューは1985年のシングル「待つ歌」だが、そもそも例えば同級生が組んだバンドと違い、ISSAY(ヴォーカル)のソロのために集った面々によってDer Zibetは誕生した。
それゆえ音楽的な方向性や表現方法は4人4様で、常に試行錯誤の繰り返しだったとISSAYとHIKARU(ギター)は言う。デカダンス、ニュー・ウェイブ、ハード・ロック、プログレなどが渾然としながら、振れ幅が大きくなるほどに他のバンドと一線を画す強烈な個性を放ち続けてきたのが、このバンドの面白いところだ。衝突しがちなISSAYとHIKARUの間を取り持っていたのがベースのHALとドラムのMAYUMIだったが、1996年に活動を休止する。
それぞれの道を歩み出した4人が再び集結したのは2007年。
大怪我をしたHALのところで顔を合わせた彼らは、再びバンドとして動き出すことになった。
加えて今は、デビュー前のメンバーだったMAHITO(キーボード)も参加している。
活動再開したくても様々な理由でできないバンドもいる中で、こうしてオリジナル・メンバーが揃って再開したDer Zibetは幸せなバンドだと思う。
(今井智子 20世紀ライナーノーツより)

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