2018-03-22

『ヒカシュー』は形而上も形而下も超えた比類なき名作

今年結成40周年を迎えるヒカシュー、そのデビュー作『ヒカシュー』を取り上げる。そのアバンギャルドで実験性にあふれた音楽性は、1980年代から「所謂ポスト・ニューウェイブ以上のものを感じることができる」として世界的にも高い評価を受けており、その活動を通じて日本のポップミュージックの可能性を広げてきたリビングレジェンドのひとつである。

■劇団の音楽から派生したバンド

今週紹介するヒカシューの結成は1978年。オフィシャルサイトによるとそうなっているからそれが正解なのだろうが、一部には1977年結成との記述もある。というのも、このバンドの立ち上がりがはっきりとしていないからのようだ。今もこのバンドの中心人物である巻上公一(Vo)が自身の劇団“ユリシーズ”の前衛パフォーマンス「コレクティングネット」において、その音楽を井上誠(Key)と山下康(Key)らに依頼したことから話は始まる。それが1977年のこと。ここですでに井上、山下はバンドを結成しており、それがヒカシューの母体となったという。“ユリシーズ”は1978年に前衛パフォーマンスの第二弾である『幼虫の危機』を上演し、この時に「プヨプヨ」「幼虫の危機」などの作品が生まれたそうで、それらの歌をもとにヒカシューはライヴデビューした。メンバーは巻上、井上、山下と、それ以前に巻上とバンドを組んでいた海琳正道(Gu ※のちの三田超人)、戸辺哲(Sax)の5人。つまり、正式なデビューは1978年だが、その基となるものは劇団“ユリシーズ”の作品から生まれたものであって、そこからシームレスにヒカシューにつながっていったと言える。

演劇界とバンド、ミュージシャンとの関係は実は結構古く、1969年に上演された米国のロックミュージカル『ヘアー』の日本語翻訳版は、主演をザ・タイガースを脱退した加橋かつみが務め、元エイプリル・フールの柳田ヒロ、元アウト・キャストの水谷公生らが演奏と、GSのミュージシャンが手掛けていた。寺山修司の劇団“天井桟敷”の演劇の伴奏にロックが使われたというし、“天井桟敷”のドキュメンタリー映画のサウンドトラックにフラワー・トラベリン・バンドのメンバーが参加。1972年にカルメン・マキ&OZを結成したカルメン・マキは“天井桟敷”の新人女優であり、1969年のシングル「時には母のない子のように」は座員だった時代に発表されたものだ。また、劇団“東京キッドブラザース”の最初期には細野晴臣が伴奏に参加したなんて話もある。最近でもROLLYが積極的にロックミュージカルに携わっていたり、昨年惜しくも活動を休止したSHAKALABBITSが寺山修司作の演劇に演奏、出演として参加したり、演劇界とロック系アーティストとの関わりは今も途切れることなく続いている。

しかし、演劇からバンドが生まれるとか、バンドの表現そのものに演劇的要素が加味されているとか、バンド自体が演劇そのものに深く関わっている事例となると、ヒカシュー以外の名前がなかなか思い浮かばない。まぁ、ミュージシャンと演劇と言うと、有頂天のケラ=劇団“ナイロン100℃”のケラリーノ・サンドロヴィッチのことも思い出されるが、1991年の有頂天の解散後、1993年に“ナイロン100℃”が旗揚げされていることを考えると、無関係だったとは言わないが、両者がガッツリとつながっていたわけではないと思う。また、筆者はライヴ中に寸劇を披露したりするバンドをいくつか観たこともあるが、どれも流石に演劇レベルと言えるものではなかった。いや、当方が勉強不足なだけで、演劇要素をしっかりと取り込んだバンドが他にもいるのかもしれないが、いたにしてもそれほど多くないのは確かだろうし、1970年代後半からそれをやっていたという意味でも、ヒカシューは邦楽シーンにおける特異な存在であることは間違いない。

■既存の枠に捕らわれない音楽

演劇と音楽をシームレスにつなげたバンドゆえに…だろうか、ヒカシューの音楽も特異な印象はある。特異と言っても、それは“流行歌の観点で見たら…”ということになるのだろうが、少なくとも当時のポップミュージックと趣は異なると言っていいと思う。前述した「プヨプヨ」「幼虫の危機」が分かりやすい。まず、M6「プヨプヨ」から。イントロから中華風というか、大陸的な音階が全体を下支えしているのだが、シタール的な音が入ってサイケデリックロックの匂いがあったり、間奏で聴けるサックスとギターが不協気味でノイズミュージック風でもあったり、途中変拍子的に展開する様子はプログレっぽくもあったり、なかなかジャンル分けしづらい楽曲だ。歌は狂言師がロカビリーをやっているような感じ(何を言っているのか分からないかもしれないが、そう的外れな形容でもないと思う)。アウトロは誰か(巻上だろうか)の馬鹿笑いで終わっていくが、この辺はいかにも演劇的だ。

M12「幼虫の危機」は特定のフレーズがリフレインするという点においては、「プヨプヨ」に比べると淡々とした…と見る向きがあるかもしれないが、これとてそう単純な楽曲ではない。基本のビートはたぶんリズムマシンで、ポコポコと無機質に一定のテンポを刻み、そこに特定のフレーズの歌が繰り返し乗ってくるのだが、ヴォーカルがシャウトしたりシンガロングになったり、赤ん坊の泣き声や爆発音が加わったり、楽曲が進むに連れて楽曲の風景が変わっていく。テンションがアップしていくと言ったらいいだろうか。アフリカンというか、南米的というか、パーカッシブなリズムも重なる上、ギターの音もワイルドなので、聴いていてもその高ぶりをもろに受ける。いずれも前衛的であり、ポップじゃないとは言わないまでも、既存の枠にとらわれない音楽であることは明らかだ。ヒカシュー初期の方法論は“でたらめの再構築”だったと聞いたが、上記2曲を聴く限り、それも言い得て妙な印象だ。

■近田春夫プロデュースでデビュー

1978年に劇団“ユリシーズ”が上演した『幼虫の危機』で生まれた楽曲「プヨプヨ」と「幼虫の危機」。その初期ナンバーを持ってヒカシューはライヴハウスに出演した。このデビューライヴは結成からわずか1週間後のことだったというので、「プヨプヨ」「幼虫の危機」以外の楽曲も演奏されただろうが、曲数はそれほど多くなかったことは想像に難くない。だが、この時のオーディエンスの好反応からバンドの方向性に確信を得たメンバーはデモテープを作成。それを聴いた近田春夫氏が「是非プロデュースしたい」と申し出たことでヒカシューのメジャーデビューが決まる。当時の近田氏と言えば、もちろんすでに近田春夫&ハルヲフォンを始動させていたし、1979年に発表したソロ作品『天然の美』ではアレンジと演奏を結成直後のイエロー・マジック・オーケストラに依頼するなど、やはり最先端の音楽性を標榜していた。テクノと歌謡曲をミックスしたバンド、ジューシィ・フルーツのプロデューサーを務めたのも同時期だし、漫才ブームの真っ只中において人気絶頂だったザ・ぼんちに、そのジューシィ・フルーツの「恋のベンチ・シート」をもじったタイトルの「恋のぼんちシート」を提供したのもこの頃である。そんな名うてのアーティストに見初められたという事実からも、ヒカシューのポテンシャルが分かろうというものだろう。

デビュー曲は、M5「20世紀の終りに」。広がりのあるシンセサウンドの幻想的な感じ。意外と…と言っては失礼だが、ギターはオーソドックスなR&Rのそれであり、十分にポップミュージックの体裁を成している。(これはヒカシュー全般に言えることだが)歌メロの抑揚が薄く、平板な印象は否まないが、サックスやギターがそれを補って余りある印象で、当時の歌謡曲やポップスとは異なる世界観であることも分かる。イントロでの“イヤヨ”や、途中入る“ヨイショ”、あるいはサビでの“ハイハイハイ”といったサンプリング的なボイス(合いの手?)も当時としては結構斬新な手法だったであろう。「20世紀の終りに」という退廃感をはらんだタイトルと相まって、まさしくニューウェイブそのものであった。

■“ルーツのさぐりにくいスタイル”

その「20世紀の終りに」の後、1980年2月に発表されたのがデビューアルバム『ヒカシュー』である。M1「レトリックス&ロジックス」でのプチプチ、M11「雨のミュージアム」でのキラキラ、あるいはM8「炎天下」やM10「ヴィニール人形」でのUFOの飛行音っぽいフワフワと、メロトロンやシンセを多用していることから、ヒカシューの音楽は当時ブームの最中であったテクノと分類されていた。そうした先端の音を駆使し、歌の抑揚が薄いという全体的なバンドの特徴に加えて、M2「モデル」でKraftwerkのカバーを披露していたので、そう分けられるのも止む無しであっただろうが、改めて聴いてみると簡単にテクノと片付けられないジャンルレスな音楽である印象が強い。彼らの音楽性を指して“ルーツのさぐりにくいスタイル”と表したものを見たことがあるが、本作はまさにそんな様相だ。例えば、M4「テイスト・オブ・ルナ」。これはほんと説明しづらい。スリリングなハイハットの刻みから入る、ジャズのような出だしだが、そこから重なるギター、ベース、サックスがどれも不協気味で、不穏な感じがするのだ。即興演奏のような展開からしっかり歌も入るが、これが何ともポップ。フレンチポップスというか、ボサノヴァというか、わりと分かりやすい旋律なのだが、サウンドとの組み合わせ、相性がとても不思議な感じだ。M10「ヴィニール人形」もそう。ブルースロック的なイントロから始まり、オルタナ的ノイズギター~シンセと展開していくが、かと言って単純なブルースロックでも、1980年のものだからもちろんオルタナでもない。若干、四人囃子っぽい感じもあるのでプログレと言えるのかもしれないが、そう呼ぶのも無理がある。字義通り、ニューウェイブと言うのはありだと思うが、テクノではない。当時はテクノもニューウェイブもポストパンクも分け隔てなく語られていたのだから、それはそれで仕方がなかったのだろうが──。

■日本の音楽シーンの多様性の証

P-MODEL、プラスチックスとともに“テクノ御三家”のひとつに数えられたこともあったヒカシューは、1981年の3rdアルバム『うわさの人類』からはテクノ色は薄まっていったと言われているが、もともとテクノを──もっと言えば、エレクトロミュージック的なもの(だけ)を追求していたバンドではなかったことは、アルバム『ヒカシュー』からもうかがえるところではある。このバンドの核心はそうしたことではない。オフィシャルサイトに“形而超学音楽のロックバンドとして唯一無二”と説明されているが、それが正解だろう。形而下、すなわち形をそなえているものでも、形而上=形をもっていないものでもなく、その両方を超えた比類なきものがヒカシューの音楽であるし、それは最初期から発揮されていた。そして、これはもっとも称えねばならないことだろうが、彼らはその活動スタンスのまま、現在も活動を続けている。1978年結成ということは今年40周年である。これはすごいことだ。コマーシャリズムうんぬんと揶揄されることも少なくないこの業界で、こんなにもフリーダムな音楽をやっているバンドが40年間、活動続けているというのは、それこそ彼らが登場した頃にはヒカシューをテクノとしか呼べなかった日本の音楽シーンも多様性が増した証拠だし、決して見限れないのである。

TEXT:帆苅智之

アルバム『ヒカシュー』

1980年発表作品



<収録曲>
1.レトリックス&ロジックス
2.モデル
3.ルージング・マイ・フューチャー
4.テイスト・オブ・ルナ
5.20世紀の終りに
6.プヨプヨ
7.ラヴ・トリートメント
8.炎天下
9.何故かバーニング
10.ヴィニール人形
11.雨のミュージアム
12.幼虫の危機




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